モロッコ周遊9日間[4]アイット・ベン・ハッドゥ編
[期間] 2019年5月17日〜 25日 ※ラマダン期間中
[期間]関西空港→ドバイ経由→カサブランカ空港 (エミュレーツ航空)
[滞在都市]シャウエン→フェズ→メルズーガ→ワルザザード→マラケシュ
[使用写真]全て自ら撮影しておりますので転載厳禁でおねがいします。
こんにちわ。TABmonです。
砂漠地帯メルズーガから世界遺産アイット・ベン・ハドゥへ陸路で向かいます。
今日も雲ひとつない晴天です。(モロッコはほとんど雨は降らないそうで)
アイット・ベン・ハドゥとは
●場所:マラケシュとワルザザートを結ぶ道から少し外れたところ
●詳細:土の城壁で囲まれた要塞都市(カスバ)で原始的な集落
古い建物や歴史的建造物が大好きなのでとても胸を躍らせながら朝9時ごろメルズーガを出発。途中寄り道しながら目的地へ。
はじめの寄り道は荒野に無数にポコポコ並ぶ奇妙な突起物。
初めの印象は「なんだこれ?」でした。
ドライバー曰くこれは、水を確保するためのポンプシステムだそうです。
確かにモロッコは広大な国でそのほとんどが荒野と砂漠と高原。雨もあまり降らない。
日本とは比べものにならない規模のダムもいくつか道中見たけどどうやって水を確保していたのかその答えがここにありました。
この突起物は全て井戸で昔の人はここから水を組み上げていたそうです。
ここは1200年前からあると言う「地下水道跡」で、この乾燥した土地で水を確保するため、アトラス山脈の水を地下に掘った水道溝でつなぎ、椰子の木で作った管で農地や町に引いた灌漑システム跡だそうです。現在は使われていないが、水道溝は長いものだと200kmほど続いているといわれます。
※現在もこの仕組みで生活している集落がいくつもあるとのこと。
地下トンネルの水脈までいくつも穴を掘って組み上げていたんですね。
かなり深いので、はた織りのような木枠がついていて、足で漕いで組み上げていたそうです。
地下の元水脈トンネルにも降りられるとのことだったので降りてみました。
料金は1人50DH程度だったと思います。
なかなか雰囲気のあるトンネルです。
次にドライバーの好意でノマドの人たちがやってるお店に立ち寄ってくれました。
先住民族ベルベルがやってるお店でサルエルパンツを買いました。
電卓戦争が始まりましたが、あんまり安くしてくれなかったので爆買いはせず(笑)
そんなベルベル人の民族衣装を着させてもらいました。
かなりビビットで砂漠地帯ではとても映えます。
その後、トドラ渓谷に立ち寄るべくティンジルという街を通過します。
建物が全部中世のお城みたいでかっこいい。砂の街って感じです。
そんなティンジルからトドラ渓谷へ向かう途中のレストラン「Auberge Restaurant La Petite Gorge」にてお昼ご飯。
渓谷地帯ということもあり、すごい景観です。気持ちのいいところでメニューは変わらずパンとタジンをいただきました。
標高が少し高いのかおだやかでとても気持ちのいい場所でした。
また、ここにはベルベルのマークがたくさん刻まれています。
これらはティフィナグ文字と呼ばれモロッコ、アルジェリアなどのサハラ周辺の先住民族ベルベル人の間で話されているベルベル語を表記するのに使用される文字です。ただ、ベルベル人と話したところ文章として何かを伝える文化はなく、どちらかというとマークとして使用されるものという印象を受けました。
その一つを紹介します。
これはベルベル人の旗に用いられているシンボルでImazighen「永久」をあらわします。
こちらがベルベル人の旗です。
これはアマジグウと呼ばれ「高貴」「自由」などの意味が込められております。また色には、海、草木、砂漠の3つの意味があり、それを永久のシンボルが貫くことで「自然との永久的な調和」というメッセージが込められます。
そしてトドラ渓谷に到着です。
ティネーリから30分ほどのところにある巨大な渓谷は最高300mにも達します。岩壁と岩壁の間はもっとも狭いところで10mしかありません。
ここはがっつり観光地で、渓谷の横にはたくさんの出店があり、平日でもラマダン中でも賑わっていました。
また、この渓谷の崖をよく見るとところどころハーケンが打ち込まれています。
ぎょっとしました。上の方を見ると登っている人がいるではありませんか。ほぼ90℃(場所によってはそれ以上)に見える断崖絶壁だが、クライマーにとっても聖地のようです。僕は全く無縁なので、ただただ命がいくつあっても足りないように思いました)
その後、ドライバーの家が近いので少し寄りたいとのことだったので(笑)一緒にいきました。かわいいお子さん達が笑顔で迎えてくれました。
(モロッコでは一部の都市で、景観を損ねないように建物のカラーを統一しています。マラケシュのピンクの街並みは有名ですがこのあたりもピンクでした)
その後ワルザザードという町に到着。
タウリルトカスバからアトラスコーポレーションスタジオに立ち寄りました。
僕の本業はグラフィックデザイナーであり、世界から注目を集める映画製作会社を見られるということで密かに楽しみにしていました。
が、しかし、ここで再びラマダンの脅威を思い知ります。
ラマダン中は営業時間が変更され、既に閉館したとのこと。ドライバーも交渉してくれましたが、関係者も帰っているようでダメの一点張り。
※またここに来る理由ができたということで外から写真だけ撮りました。
、、、かならずリベンジしてやる。。
ここからようやく宿に向かいます。
約1時間程度で本日の宿Riad Maktoubへ。
Riad Maktoubは伝統的なアイット・ベン・ハドゥ風の内装で、当時のカスバの生活を体感できる宿です。
屋上テラスからは世界遺産であるアイット・ベン・ハドゥが見える最高のロケーションでした。
そんなアイット・ベン・ハドゥに徒歩10分程度で行けるとのことなので早速行ってみました。
いくつかルートがあるのですが細道を進んでいきました。
すると川べりに出ます。
全貌が見えてとてもよかったです。
早速中に入っていきます。
入場料ですが不明です。
無料とも聞いていたのですが、人や時期、時間によって変わっているのか、この日は50DHとられました。翌日早朝にも行ったのですが別入口から入ったところ、そこでは10DHでした(笑)謎は深まります。
中に入り、上がっていくにつれて、どんどんその中での生活や時代背景が想像でき、この世のものとは思えない、まるでゲームの世界に迷い込んだような感覚に包まれました。
さらに、夕方は特におすすめです。
頂上に上がるとほこらのようなものがあり、(後で出きいたところ銀行だったそうです)そこから見える眺望には感動を覚えました。
まるで進◯の巨人の世界です。
アイット・ベン・ハッドゥは僕の一番のお気に入りの場所となりました。
モロッコ周遊9日間[3]メルズーガ編
[期間] 2019年5月17日〜 25日 ※ラマダン期間中
[期間]関西空港→ドバイ経由→カサブランカ空港 (エミュレーツ航空)
[滞在都市]シャウエン→フェズ→メルズーガ→ワルザザード→マラケシュ
[使用写真]全て自ら撮影しておりますので転載厳禁でおねがいします。
こんにちわ。TABmonです。
いよいよフェズからメルズーガへ陸路で出発します。
事前に片道8〜9時間時間はかかると聞いていたのでそこそこ覚悟はしていましたが、座るとすぐ寝れるクセがついてしまったのか割と道中快適でした(笑
あいかわらず車は飛ばすし揺れるのだが段々と心地よくなってきたようで。
途中アトラス山脈(モワイヤンアトラス)を越え、イフレンというスイスのような街に降り立ちました。
ここにはモロッコで唯一の私立大学や、国王の別荘などヨーロッパ調の上流階級のエリアで、いわゆる富裕層中心のリゾート地です。
標高も高く、お金持ちの避暑地として高級別荘地も多いようです。
日本でいうところの軽井沢的な?感じでしょうか。
トイレ休憩がてら軽く散歩してみました。
また、小銭が少なくなってきたのでお菓子屋さんで両替がてらお菓子を購入。
モロッコは何をするにもチップなのですぐに小銭がなくなってしまいます。
チップの相場
◯コーヒーやお茶が10DH以下のカフェ→ひとり1DH程度
◯おしゃれカフェ、レストラン、スパ→合計金額の10%程度
◯トイレ→1〜2DH
◯リヤドのポーター(荷物運び)→10〜20DH
◯簡単な道案内→10DH
◯写真を撮ってもらった時→10DH
◯半日ガイド→50DH
◯1日ガイド→100DH
用事を済ませ、すぐに出発。(一般的なきれいな街並みに興味がないようで笑)
ここからは本格的にアトラス山脈を越えます。
モロッコは国のちょうど真ん中あたりにアトラス山脈が横切っており、南と北に分断されています。フェズは北でメルズーガは最南なので、必ずこの山脈を越えねばなりません。
途中ノマドのベルベル人や、野生の猿、谷の中にある街などを横目にどんどん南下していきます。
フェズを出発してから7時間、南の都、エルフードという街に到着。
ここで四駆に乗り換え、いよいよ砂漠地帯に向かうのだが、
時間があったので、エルフードの観光資源、化石加工の工房見学へ。
工房長が、工房から見える山脈を指差し、あそこからアンモナイトや三葉虫の化石が採れるとのこと。
エルフードは1917年にフランス軍の駐屯地として造られた町で、道路は碁盤の目のように真っすぐに通っていて、建物もどことなく四角で画一的な印象。サハラ砂漠への入口でもあり、経由地でもあります。
また、500年ほど前、エルフード近辺は海だったそうです。そのため、海の生物の化石が採掘されるんだとか。
というのが周辺は見渡す限りの砂丘地帯。昔は海だったんだんて…なんだか不思議です。だから、アンモナイトやサンゴ、三葉虫の化石などがたくさんとれるようです。
ここでは化石の商品の販売のほか、化石の掘り出し・加工・商品への仕上げなどの全工程を行ってるようで、世界中から観光客が訪れます。
太古のロマンに胸を躍らせながらいよいよメルズーガに向けて出発です。
ここから1時間ぐらいと聞いていたのですが。
若い青年に運転してもらって徐々に街並は荒野へ。この男もやはり飛ばす飛ばす。
結局40分ぐらいでつきます(笑)
景色はすぐに荒野へと変わります。
何もありません。まるでドラ◯ンボールの世界です。
ずっと地平線に近い荒野が続き、とある場所で車を止めると「イエッラ!」と。
※イエラはベルベル語で「さぁ、行こう」旅の道中幾度となく聞きました。
あたりを見ると、遠くに見えました。
サハラ砂漠です。
まるで山脈のようにこんもりしていますが、茶色いので間違い無いですね。
メルズーガは国境付近の街で、砂漠を進むとアルジェリアに行くことができます。
さらに道無き道を進み、本日の宿RIAD MADU到着しました。
このあたりではリゾート的なリヤドらしく、すごく気持ちのいい空間。
砂漠を景色にプールまで完備されていて個人的には今回の旅で一番よかったリヤドだと感じてます。
ただ、ラマダン中なので、夕方のチェックインは決まってフロントスタッフも機嫌が悪いです。
朝から飲まず食わずだから気持ちはわかりますが、日本人ではありえない感覚ですね。
(ラマダン中の渡航デメリットはこういったちょっとしたところでもあらわれます)
※ただし50円でも100円でもチップを渡すと満面の笑みに変わるのでわかりやすくどこか憎めない(笑)
室内も素敵です。そこらかしこに伝統模様が見られます。内装も最高で、今後の家づくりの参考にしたいなと思いついつい写真をいっぱいとってしまいました。
このリヤドのロゴのモチーフはベルベルの紋章で「ファティマの手」といい、簡単にいうとお守りのようなものです。
イスラム教において、最後の預言者となったムハンマドの娘の一人の名前が、ファティマであり、ここから「ファティマの手」という名前がつけられました。信仰する人々は、イスラム教徒やベルベル人だけではなく、多くのユダヤ教徒の間でも、広く受け入れられているそうです。
夜は中庭でディナー。
ここではアルコールも取り扱っていました。(といってもビールぐらいでしたが。)
前菜から始まり、鶏肉のタジン鍋をいただいた後大皿いっぱいのフルーツがでてきたので、部屋に持って帰りました。一応伺いをたてたところ問題ないとのことでしたので。
その後リヤドの周りを散歩しました。
あたりは地平線、空には満天の星空。本当に砂漠にきたのだなと改めて実感しました。
翌日早朝4時。
サンライズを見に行くとのことで、現地のラクダ使いのベルベル人がラクダとともに宿まで迎えにきてくれました。
暗闇で見るとストールでぐるぐる巻きのおじさんは最高に怪しかったです(笑)
あまり英語が話せないのか口数も少なく愛想笑いがかわいらしい方でした。
サンライズスポットにつくとおじさんは砂漠で寝はじめました。※上記の写真小さくおじさんが転がっています(笑)
ラクダは初乗りでしたが、バイクでいうところのサスゼロ状態で変なところが痛くなるような乗り心地。いちお観光客用のシートをつけてはくれていますが腰の悪い人にはきついかもしれません。かませるようのクッションを持参すると楽です。
また、必ず必要なのがストールです。
頭から足の先まで砂まみれになるとのことだったので初日のシャウエンで購入していたものを装着。(ただ、この日無風で天候もよく、結局必要ありませんでした)
カメラ等の電子機器もテープなどでメバリをする必要があるとの前情報だったので携帯も防水の密閉ストラップに入れ、首から下げてました。ラクダに乗っている時、掴んでおかないと振り落とされそうになるので手荷物は無い方がいいです。
サンライズを堪能し、この空気感を日本にいる友人にも共有したいという思いから、砂を持って帰ることにしました。
後日談となりますがお土産に渡すととても喜ばれました。瓶は100均などで購入。
もって帰る場合あらかじめ密閉できる袋を用意しておくことをおすすめします。
また、国によっては持ち出せないケースもあるようですがモロッコは大丈夫でした。※土はダメです。
その後、ラクダ使いのおじさんがおもむろに商売を始めてきました。
気恥ずかしそうに商品を並べていく姿は思わず買ってしまいそうになります。
モロッコでは、だいたい何かをオプション的に人にお願いして連れていってもらったり、案内してもらったりするとセットで物を売ろうとしてきます。
少し慣れ始めていたので抵抗はありませんでしたし、向こうも良かれと思ってやっているので話ぐらいは聞いてあげると喜ばれます。
そのままラクダでリヤドに戻り、ゆったりと進む時間を堪能しました。
以上メルズーガ編でした。
次回は世界遺産アイット・ベン・ハッドゥ編です。
[行ってみて知ったサハラ砂漠]
モロッコ周遊9日間[2]フェズ編
[期間] 2019年5月17日〜 25日 ※ラマダン期間中
[期間]関西空港→ドバイ経由→カサブランカ空港 (エミュレーツ航空)
[滞在都市]シャウエン→フェズ→メルズーガ→ワルザザード→マラケシュ
[使用写真]全て自ら撮影しておりますので転載厳禁でおねがいします。
こんにちわ。TABmonです。
今回はモロッコ周遊2日間フェズ編です。
1日目シャウエンを朝10時に出発し、約200km先の街フェズへ。
出発して15分で街並みは荒野へと変わります。
ただひたすらの一本道を飛ばす飛ばす。
途中ドライバーのおすすめでオレンジ農園に立ち寄りました。
観光客用ではなく、完全に地元価格の量り売りで大きなオレンジ8個で5DH(日本円で約55円)。観光地ではおそらく10倍の値段をふっかけられます(笑
分厚い皮に包まれたオレンジは乾燥地帯モロッコでは本当に絶品です。
その後、フェズの道中(少し道はそれますが)ヴォルビリス古代遺跡へ。
ここは古代ローマの遺跡でヴォルビリスという名前は古代ベルベル語でキョウチクトウという花木を指すワリリという言葉に由来しています。
ベルベルについては改めて説明いたしますが、モロッコでは現在も人口の30%が先住民族であるベルベル人だと言われています。
昔ローマのコロッセオに行った時のことを思い出しましたが、街中にあるコロッセオと違い、見渡す限り地平線の中に突如現れるヴォルビリスは物凄い存在感を放っていました。
入り口付近にはガイドのモロッコ人が数人いて、ガイドをつけた方がいいと勧誘してきます。当然チップが欲しい人たちなのでここぞとばかりに商売してきますが、必要なければ「No thank you」で去っていきます。
日本人はお金を持っていると思われているので何かを断る度に怪訝そうな顔をされたり、嫌味を言ってきたり、残念なリアクションをされますが一番は気にしないことです。
必要であればお願いしてチップを払う、必要なければきちんと断る、これだけで充分です。
僕はガイドつけませんでしたが歴史的建造物なので、ガイドをつけた方がより楽しめると思います。たぶん50〜100DH(1000円)程度で快く紹介してくれます。
さらにこちらの入り口トイレは本当に驚きました。入るといきなりおじさんが座ってます。基本的にハウマッチ?では答えてくれません。というのが、「とれる人からたくさんとろう」という考え方なのか相場を知らない人からたくさんとれた方がラッキーなのだと思います。
何度かトイレでのチップは払っていたので2DH渡して済みました。
いよいよヴォルビリス古代遺跡を散策です。
日本では珍しい大きなサボテンがたくさん迎え入れてくれます。
いろいろ見ていくとそれぞれ部屋だった箇所や炊事場、お風呂だった場所など生活感を感じられ、興味深い遺跡でした。
ワ○ピースのポーネグリフのようなものもありました(笑
古代ローマの属州だったことを彷彿とさせます。
なんだかヨーロッパに着たような少しお得な気分でヴォルビリスを後にしました。
その後途中高台で休憩しました。絶景です。
ベルベル人がやっているお店があったので寄ってみました。
お気付きの方もいると思いますが全て値札はついておりません(笑)
詳しくはモロッコ周遊9日間 [1]シャウエン編 - TABmon’s blogにて。
その後いよいよ大都市フェズへ。
まず、ドライバーとともにモロッコ伝統の装飾、モザイクタイル工房の見学へ。
フェズには王朝の首都であった歴史から、細かな職人の手仕事が今も残ります。
どのように作られているのか全ての工程を惜しみなく見せてくれました。
裏側からピースをはめていき、コンクリートで固めた後ひっくり返します。
最後まで全貌がわからないところが奥ゆかしくていいですね。
どこか古き良き日本の職人を思い起こすかのような細かい作業を淡々とこなす彼らには感銘を受けました。
全て手作業なので当然高価です。小皿一枚数千円〜数万円、大きなものだと数百万円しますが、フェズ焼きは作りがとても精巧で、世界中にファンがいるらしくお金持ちがたくさん買って行くようです。
お金のない僕はスルーさせていただきました。すみません。
フェズはガイドブックに必ず載っている、大都市で、旧市街(メディナ)の市場は迷路のように入り組んでおり、別世界に迷い込むようなまるでゲームのような世界観を持っています。
現地時間17時ごろ。
今回は旧市街の中にあるリヤドDAR ANEBARに宿泊予定だったので路地を進んでいき、たどり着いたところは何の看板もない普通の家?のような佇まい。
中に通されるとソファがドンとおいてある吹抜け空間とその横に鍵付きの寝室がある素敵な部屋。アンティークだけどどこかヨーロッパとも違うモロッコならではの建築模様。
(モロッコのエキゾチックな建築様式の呼び名は何というのだろう。。)
ウェルカムドリンクでミントティーをいただきました。
フェズでの滞在時間は明日の10時ごろまでだったので早速夜の街を散策しようと外に出ようとしたところ思いもよらないことがおきます。
宿の人間に外出を止められてしまいます。
21時頃までは絶対に外に出るなということです。
詳しく話しを聞いてみると、ラマダンが大きく関係しており、お祈りが終わるまではフェズの旧市街はゴーストタウンと化します。法よりも宗教の力が勝るので警察も関与しない無法地帯が出来上がるそうで薄暗い路地では犯罪が横行するとのこと。
ラマダン中は店も閉まったり、観光客もぐんと減り、犯罪も増えると言われていますが、宿の場所が観光地から少し離れた薄暗いエリアだったのもあり、何度も外出を止められました。
が、出るなと言われるとどうしても出たくなる性格を抑えきれず、宿の人と交渉の末、現地の友達を呼ぶから一緒に行ってくれとガイドを呼んでもらうことに。
とりあえずご飯を食べに外に出ると、人気もなく完全にゴーストタウンと化し、お祈りに参加していない明らかに普通ではない現地人が要所要所に座っているスラム状態。
推察するにお祈りに参加しないドロップアウトしたはみ出し者が存在していて、犯罪に手を染めているようです。
なるほど。納得。
観光客だけでフラフラしているとすぐ強盗に合いそうな異常な雰囲気で、ある種ラマダンの闇を知ることができました。
わずか300m先のレストランまでの道のりでしたが、完全にドラクエ状態でべったりくっついて歩き、ようやく食事を得ることができました。
レストランは客ゼロ。
屋上にあるオープンテラスではビッグモスクとブルーゲートからサイレンのようなお祈りがずっと流れ続けており、不気味な雰囲気のまま優雅に(笑)ディナーを堪能しました。
内容は毎度おなじみのホブスと鶏肉のタジンとブロシェット。
ブロシェットはモロッコの焼き鳥で、このお店では大皿に焼き鳥と生野菜やオリーブが盛り付けられていました。(というか置いてありました笑)
※日本だと未完成だと言われそうな料理でした。。(お店によるのかもしれません)
デザートにフルーツをたくさんいただきました。
フェズも観光客と現地人でメニュー価格が違うという情報も入っていましたが、1人100DHのディナーコースが食べれたので大満足でした。
(観光客用メニューと現地人用メニューの2種類が用意されているらしい)
食事の途中で「これからブルーゲートに行きたい」と伝えたところ「Danger」のひとこと。
早朝散策に切り替えようと思い、帰りもドラクエ状態で素直に宿に戻りました。
翌日早朝からメディナに向かい、市場や迷宮路地を散策。
本当に一度入ると方角も出口も見失う複雑な街。Googleマップは一切通用しませんのでご注意を。
その後ビッグハウスにて朝食をとり、フェズを後にしました。
ちなみにモロッコでオレンジジュースを頼むと決まって搾りたてのものがでてきます。
道中たくさんのオレンジ畑をみましたが、モロッコではオレンジの栽培量がとても多く、ちょっとしたカフェでも搾りたてのオレンジジュースがでてきます。絶品なのでおすすめです。
以上フェズレポートでした。
次回はいよいよメルズーガ砂漠記です。
[行ってみて知ったフェズ]
モロッコ周遊9日間 [1]シャウエン編
[期間] 2019年5月17日〜 25日 ※ラマダン期間中
[期間]関西空港→ドバイ経由→カサブランカ空港 (エミュレーツ航空)
[滞在都市]シャウエン→フェズ→メルズーガ→ワルザザード→マラケシュ
[使用写真]全て自ら撮影しておりますので転載厳禁でおねがいします。
こんにちは。TABmonです。
今回某旅行代理店を通してモロッコ周遊9日間の旅行に行ってきました。
僕はいつも旅の教訓としてガイド付きのツアーは極力避けて、できるだけ自由に動くことを心がけています。
今回は未開の地モロッコだったので、宿と街から街への移動ドライバーのみ、あらかじめ手配していきました。色々調べてはみたのですが、モロッコはあまり情報が出ていなくて下調べも不十分のまま、冒険心のみで旅だちました。
※ガイドブックによっても違うところがあったり、渡航された方のブログなども拝見しましたが、行かれた方のタイミングやツアーの内容のためか、相違点もチラホラ見られたので、できるだけ自分の体験を中心に綴ります。
まず、モロッコのお金ですがモロッコディルハム(MAD)という貨幣となります。
2019年5月現在で
1ドバイディルハム=29.8円
2倍以上も貨幣価値が違います。
関西空港で換金できるという情報だったのでEXCHENGEカウンターで尋ねたところ、モロッコディルハムは換金不可でした。
ただし、カサブランカ空港で円からディルハムにできるとのことだったので、意を決して円のまま渡航(笑)
ドバイ経由でカサブランカまで約24時間(途中2時間のインターバル)
ようやく魅惑の国モロッコに到着しました。
現地カサブランカ空港内でのEXCHANGEで日本円をモロッコディルハムに換金成功。10000ディルハムほどの現金を手にしてほっとしました。
ドライバーと合流し、そのまま青の街シャウエンへ。
シャウエンは昔から写真でちょくちょく目にしており、僕の死ぬまでに行きたいところTOP3だったのでワクワクしながらカサブランカを後にしました。
カサブランカ空港からシャウエンまではだいたい車で6時間(長い道のり、、、)
ハイウェイもありますが、ほとんど片道一車線の一本道で現地ドライバーはめちゃくちゃ飛ばします。
※陸路を移動する際には酔い止めを持参していくことをお勧めします。
途中休憩に道の駅のようなところに止まり、トイレにいきましたが、モロッコのトイレは公共の場所であってもかならず近くに人がいます。 そしてトイレを使おうとすると必ずチップを要求してくるので注意が必要です。
(小銭を常に携帯しておかないといけないのでキャッシュレス化はまだまだ難しそう。。)
だいたい1回使うのに2DH程度です。
到着しました!!!!!!
青の街シャウエンです。
現地気候は5/18現在で意外と寒い16℃。
リヤドにチェックインし、散策しながらレストランにてディナーです。
超小麦王国でもあるモロッコでは、これからの旅でこれでもか!と言われるぐらいでてきます。
アラビア語では「ホブズ」と呼ばれている、パンで手のひらよりも大きく、厚さは5cmほど。
地元の人が行くお店などで単体で買うと1DH〜2DH(10〜20円くらい)。
コスパいいですね〜。味はほぼありません(笑)これをいろいろなディップを使って食べます。
日も沈み、夜のシャウエンを散策。
ラマダンもあってか、20時ぐらいからちらほら人が増え始め、閉まっていたお店も開き始めました。
ラマダンについてはガイドブック等にたくさん情報でているので割愛します。
モスクに人の出入りしている姿が見えたのでフラっと中に入ろうとしましたが、ものすごい剣幕で現地の方に止められました。
( サラート中は観光客は絶対に中に入ってはなりません)無知ですみません、、、。
夜のシャウエンは少し雰囲気も変わり、ディープな印象に。
フォトジェニックな街に変わりはありませんが、怪しい人たちも中にはいます。
僕は21〜23時ぐらいまでお店や路地をフラフラしてましたが、その間5人ぐらいに大麻を売られそうになりました。
日本人とわかると「ハッパ」「ガンジャ」と声をかけてきますが手はださないように。日本でも違法ですが、モロッコでも違法ですので。
はっきり「No thank you」と言えばそれ以上は何もしてきません。
その後初日なので買い物をしてみようと少し大きめの雑貨屋へ。
いろいろ見ているとどんどん物がでてきて、ミントティーまで出される始末。
まくしたてるような接客は旅行経験があまりない方にはきついかもしれません。
僕はあらかじめモロッコでは、ふっかけることが商売の基本といった印象を持っていたので雑貨や、ストール、アクセサリーなどめぼしいものを選んだあとは値段交渉をしてみました。
(基本的には日本のように商品に値段は書いておりません。これは現地人価格と観光客価格とで完全にわけていることを指します)
電卓を真ん中におき、向こうの提示額からこちらの希望額を打ち込む作業を繰り返しました。結果トータルで2/3ぐらいの値段になったのでFIXしました。
だいたい「Expensive!」と言えば値段交渉スタートと向こうも認識してくれますのでどんどん言ってみることをおすすめします。
また、悩んだあげくの「No thank you」も効果的です。
35,000円といっていたラグが最終的に5,000円まで下がりました(笑)
ひとまず満足できたので本日の宿シャウエンのリヤドCASA HASSANにて帰路につきました。
翌日早朝からシャウエン散策へ。朝のシャウエンもとても綺麗で神秘的です。
シャウエンが青い理由を現地の方にきいたところ、いろいろ説はあるようですが、虫除けの塗料らしく景観を考慮してのものでは当初なかったそうです。日本でいう焼き板のようなものですね。
また昔ユダヤ人がたくさん住んでいて、ユダヤ教を象徴する青色に塗った、また暑い国なので涼しくする効果があるなど様々です。
中央の広場に戻り、お土産屋を周り、カスバと呼ばれる城に行って見ました。
17世紀に対ポルトガルの前線基地としてムーレイ・イスマイルによって建てられた要塞化した城です。入場量10DHときいていましたが、観光客価格で60DHほどとられました。
登ってみるとメディナ(旧市街)が一望でき、とても気持ちの良い場所です。
帰りに城周辺を散歩していると公園でヨーロッパ人が変なものを吸引していました。
、、、見て見ぬ振り。
以上シャウエンレポートでした。
次回はフェズでの旅行記をお届けします。
[行ってみて知ったシャウエン]
- シャウエンが青いのは虫除け対策
- シャウエンの夜は大麻売りがたくさん
- 思ったより寒い
- ラマダン中はタバコは吸わない方がいい(睨まれます)
- 観光客価格は通常売値の2倍〜無限大
- 歩くだけでも超楽しい
- 英語はみんな通じる
仕事をしながらこなした年間120本のライブ
僕は学生時代からギターが好きで大人になってもバンドばかりやっています。
バンドマンって基本お金がないんです。
というのが事業と違ってリターンを明確にできず、好きでやっているから金が欲しいわけじゃないというケースがほとんどだからです。
膨大な時間とお金と労力を投資してリターンがなければそりゃお金なくなりますよね。
僕も一時期とあるモンスターバンドにギタリストとして加入し、年間関東を中心に120本ものライブをこなしていました。
僕ももちろん元々知ってるビッグネームで大好きなバンドだったのでギタリストとしてオファーがきた時に悩んだ末に加入しました。
メンバー全員が食えてたわけではなく、みんなバイトしながらギリギリで一ヶ月生活しながらライブ三昧の日々でした。
ただ僕は既にフリーランスのデザイナーとして大手広告代理店からもかなりの案件を受注できていたのであくまでデザイナーとして生計を立てるスタンスは変わりませんでした。
では、どうやってグラフィックデザイナーをしながら年間120本ものライブをこなすか。結論はでていました。
数年前からよく聞くノマドワーカーというスタイルです。
僕がツアーで回っていたライブ日の一日をざっくり時系列にまとめると
・9時 起床
・10時〜14時 仕事
・14時半 移動
・16時 ライブハウスにてリハーサル
・18時 近くの飲食店で仕事
・21時 本番
・22時 終演
・23時 移動
・24時 ネカフェorビジネスホテルIn
・25時 仕事
・27時 就寝
1日9時間仕事しています。これは仕事できる時間が長く確保できた日ではありますが、最低でも6時間は一日仕事をできる時間は確保できました。
これって普通のサラリーマンの労働時間までは行かなくてもそこそこのパート並みですよね。
あとは移動しながら仕事ができる環境をいかに作るかです。
常に所持していたもの
・macのノートパソコン一台
・iphoe
・外付けハードディスク
以上3点です。
携帯電話ではなくiPhoneと書いたのは、iPhoneが必須だったからです。
wifiのない環境でもメールを送れるようにスポットでテザリング機能を使いパソコンをネットに繋いでいました。
また、当然日中は仕事の電話は常にかかってきます。
フリーランスで仕事をしている場合はほとんどが携帯電話にかかってくるので(建前上事務所に固定電話もひいてはいますが)リハ中などの場合は後で折り返しながら要件を聞き、ライブが終わったら作業の日々でした。
外付ハードディスクは頑丈で、1TBの大容量のものを常に携帯しておりましたが、その中に全ての仕事データを入れるだけではあまりにリスクが高かったのでdropboxの容量を追加し、クラウドでバックアップをとりました。
※これは必須です。
だいたいツアーのサイクルとしてはまとまっていたので月に2週間ほど家に帰れない。そのかわり後の2週間は家に帰るといった具合で実質事務所で行う仕事は一月のうちの半分です。
そんな日々のサイクルでも月の売り上げは50万〜60万ほどをキープできました。
【まとめ】
グラフィックデザインはツアーをしまくるバンドマンにとってはとても有益なスキル。
つまりこのスキルがあればノマド的な働き方も可能。
【次回】
どうやったらグラフィックデザイナーになれるの?
デザイナーって何する仕事?
こんにちわ。TABmonです。
今回はデザイナーという仕事について、僕の見解を述べたいと思います。
一重にデザイナーと言っても様々です。
・服をデザインする人
・家をデザインする人
・看板をデザインする人
・空間をデザインする人
・操作をデザインする人
・家具をデザインする人
・イベントをデザインする人
・広告をデザインする人
・会社をデザインする人
・お店をデザインする人
・ホームページをデザインする人
などなど。
その中で絵を描いたり、図面を起こしたりする作業が発生するケースが多いので、よくアーティスティックな仕事と言われますがそうではありません。
あくまで商業ベースで成り立っている職業と言えます。(個人見解です)
なぜ絵を描いたりグラフィックを作るのにアーティスティックではないのか、というところを順を追って説明します。
僕の行なっている仕事は総称として言うなればグラフィックデザイナーと言われ、上記の項目で言うと看板、広告、会社、お店、ホームページに該当します。また趣味レベルではありますがイベントのデザインなども行います。
主にチラシや名刺、パンフレットやホームページなどを制作することを生業としますが、現在はそれより前の段階で行われる企画や予算組み、概念づくり、マーケティングなども含めた提案も行います。
これらは少し深い説明が必要なので別の機会で説明しますが基本的には視覚を通して情報を伝えるナニカを作ることが僕の仕事です。
仕事の強みとしてはクライアントの業種に制限があまりないというところ。僕が抱えている現在のクライアントは、
学校関係、食品製造会社、鉄工所、革工房、美容室、接骨院、派遣会社、設備会社、鉄道会社、電気会社、カフェ、内装会社etc
これはある意味地方で働くデザイナーあるあるなのかもしれませんが一つのジャンルに強いことは良いことなのですが、様々なジャンルにも対応できる方がより仕事が集まりやすいと思われます。
というのが、僕が過去行った美容室のデザインの看板を見て、こんなオシャレな感じの会社ロゴを作りたい!と思う鉄工所の社長がいたっていいですよね?
ただし、派遣会社の会社パンフレットを作るのに派遣の仕組みを知らなければエンドユーザーに突き刺さるキャッチコピーもデザインも作れません。
ようは、どこまでその業種を研究してニーズに応えられるかが鍵となります。
つまり、ニーズを把握して目的を持ったビジュアルを提案し、作成することがデザイン仕事と言えます。
アーティストと呼ばれる人は順番が反対で、自己発信したものに対してニーズが生まれるものと思います。つまり全く同じ絵を描いたとしても、ニーズ先行か自己発信先行かで違う価値のものとなります。
これが、僕が考えるデザイナーはアーティストではないと言える根拠です。
ではデザイナーはどうやって発想するのかを次回お話させていただきます。
祝開設!令和元年!
僕はかれこれグラフィックデザイナーとしてフリーランスで8年間年飯を食ってます。
過去たくさんの人に「どうやって仕事とったの?」「デザイナーって何やる仕事?」「なぜ就職しなかったの?」などなど、主に会社勤めの方々に様々なことを聞かれます。
ギリギリ昭和生まれで終身雇用が当たり前だった親に育てられ、独立するまでいろんなことがありました。
生い立ちなどは割愛しますが(必要に迫られた時今後ブログで紹介します)初めの投稿ですのでシンプルに過去聞かれたことを真剣に考えて答えてみようと思います。
1.どうやって仕事とったの?
僕は3年ほどグラフィックデザインの会社で働いた経験があります。ただ、当時働いていたのは大阪で、現在独立して事務所があるのは岡山です。全く仕事のツテもなく、前職の会社も喧嘩別れに近かったので仕事の取り方どころか果たしてやっていけるのかもわかりませんでした。
前職の会社を辞めた時点で25歳、そこそこイラレとフォトショ(グラフィックを作るソフト)が使える程度。
地元の先輩にいくつかデザイン会社を紹介してもらい、求人の話もあったので就職も考えましたが、組織に全く向いていないと自分で認識していたのと、若さ故すぐに再就職するのも嫌だったのでなんとなく実家でスネをかじる生活(笑
ただ時間があったので海外に旅行に行ったり先輩に仕事の話をきいたり、友人と遊びにでかけたりと三ヶ月ほどずっと外で遊んでました。
そんな中、とある先輩に「デザインできるなら仕事とってみれば?」と言われ100パーセント鵜呑みにしたことがすべての始まりです。
初めは友人や昔お世話になった人たちから名刺やカードのお仕事をいただきました。この頃見積書もロクにつくれませんでした。
実家暮らしで無収入だったので初めの月は小遣い程度でしたがとても嬉しく、会社勤めの給料とは重みも違いなんとも言えない喜びを感じたことを覚えています。
そこから本格的にデザインの仕事を考え始めます。
初めの目標は月25万円の売上を半年で作ることでした。※1年で自立できなければ就職しようと決めていました
当時はまだ、UI/UXやARなどの概念・技術はなく、iPadが登場したてぐらいだったので今より紙広告も多く仕事がとれればこなしていく自信はありました。
さぁ、ではどうやって仕事をとろうかと。
簡単な名刺を作り、知人・友人にまずは、自分がグラフィックデザイナーとして独立したと言いまくりました。
そして、グラフィックデザインの仕事がありそうなところ(広告代理店・印刷会社・コンサル会社・デザイン会社・看板屋・ベンチャー企業など)にメールを送りまくりました。
当時のメール文面には「実績はまだまだ少ないですが、若い視点でのデザインで評価いただいてます」的なハッタリを入れたところ、「若い視点でのデザイン」がきいたらしく、10通中7,8件は返信がありました。
(今考えると70〜80%の返信率ってすごいですね!)
そのうちの3件は一度お会いしたいと言っていただき、すぐに出向いて過去の作品を紹介するといったことを繰り返しました。
だいたい法人相手の仕事になると仕事をこなした翌月末に支払いが行われるので約三ヶ月で月25万円という数字を達成しました。
(これを維持するのがとても難しいことを後で知る)
従って初めに仕事をとるための営業で行ったことは
・名刺を作る
・メールを送りまくる
・すぐに会いに行く
この3つだけでした。
県民性の違いなどもあると思いますが基本的には人と人が作る社会なので迅速な対応も効いていたように感じます。
次回は「デザイナーって何やるの?」にお答えしようと思います。